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ポーランド政府が隠した、難民の「不都合な真実」 強制送還されるか、極寒の森の中を彷徨うか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ファイナンス

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5/3 14:32 配信

 2021年、ベラルーシ政府がEUに混乱を引き起こす狙いで、大勢の難民をポーランド国境へと移送する<人間兵器>とよばれる策略を行った。

 そしてその策略に対抗するため、ポーランド政府はベラルーシとの国境付近に非常事態宣言を発令。国境付近は、EU諸国への亡命を求める人々であふれていたが、ポーランド政府はベラルーシから移送される難民の受け入れを拒否。しかもこの地域へのジャーナリスト、医師、人道支援団体らの立ち入りも禁止した。

■死の恐怖にさらされた難民たち

 入国を拒絶された難民たちは国境警備隊に捉えられ、暴力が蔓延するベラルーシに強制的に送り返されるか、あるいは国境付近で立ち往生し、ポーランドの極寒の森をさまようなど、どちらに転んでも死の恐怖にさらされることとなった――。

 5月3日よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次公開となる『人間の境界』は、ベラルーシ、ポーランドの国境付近で地獄のような状況に落とし込まれた人々の過酷な運命を、シリア人難民家族、支援活動家、国境警備隊の青年など複数の視点から描き出した群像劇だ。

 本作のメガホンをとるのは、3度のオスカーノミネート歴を持ち、『ソハの地下水道』『太陽と月に背いて』など数々の名作を世に送り出してきたポーランドの巨匠アグニエシュカ・ホランド。

 当時のポーランド政府は、この"不都合な真実"を隠すために国境を閉鎖して、情報を遮断したが「国境に行くことができなくても、私は映画を作ることができる。政府が隠そうとしたものを、映画で明かそう」という決意と覚悟のもと、本作の製作に取りかかった。

 完成した映画は、世界中の観客に衝撃を与え、2023年ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞したのをはじめ、数多くの映画賞に輝いた。

 世界的な評価の一方で、ポーランド政府は本作上映の妨害工作を行うに至ったが、政府の思惑とは裏腹にポーランドで大ヒットを記録。

 その直後にポーランドの右派政権は退陣し、政権交代が行われた。そこで今回は、ポーランド政府や右派勢力の妨害にも屈せずに、表現の自由を守るために戦ったアグニエシュカ・ホランド監督に話を聞いた。

■映画の公開時にも妨害があった

 ――この映画が2023年9月にポーランドで劇場公開されたときに、ポーランド政府がこの映画のことを猛烈に非難し、映画館に対して「この映画は事実と異なる」というPR映像を流すように命じました。ですが、ほとんどの独立系映画館がその命令を拒否したという話を聞きました。ポーランドでは2023年12月に右派政権からの政権交代が行われましたが、独立系映画館がそうした政府の要求にノーを突きつけたというのは、そうした社会情勢とも関係があったのでしょうか? 

 この映画がポーランドで公開された当時の政府は、非常に独裁主義的でポピュリズム、国粋主義的なところがある右派政権で、そんな政権がかなり長いこと続いていました。

 彼らは特にプロパガンダとして移民・難民問題を政治的に利用してきたわけなんです。それは非常にレイシズムを含んだプロパガンダでした。難民のことを、我が国に避難を求める人々だとみなすことはなく、彼らのことをテロリストであるとか、小児性愛者であるとか、動物虐待者の集団であるといった言いがかりをつけて、国民に嫌悪感や恐怖をあおるようなプロパガンダをつくりあげました。

 映画の公開時にも、政府からの攻撃がありました。それこそ法務大臣や大統領、首相といった、政治的な地位が高いような人たちが、わたしのことを売国奴であるとか、あるいはナチスのプロパガンダであるとか、ゲッペルス、スターリン、プーチンだとか、そういった非難を浴びせてきました。

 政府はかなり本気で、自分たちの作品を妨害するためのキャンペーンを打ってきたわけです。でもそれはある意味、彼らが隠しておきたかったことを、わたしたちが明るみに出してしまうことを危惧してのことでした。

 彼らはそれまでも、そうしたプロパガンダを利用することで、選挙に勝利してきたので、その時も彼らの支持者に向けてアピールをして、自分たちに一票を投じてもらおうと考えていたのでしょう。

 でも彼らはやりすぎたんでしょうね。そのキャンペーンがあまりにも大げさだったために、民衆は何だか変だぞと気付いてしまった。

 自分の目で見て、自分で判断したい、何が真実か見極めたいという方が増えて、結果的にこの作品への関心が高まって。こういう作品にしては非常に高い興行成績を収めることができた。

 ある意味、逆説的に政府がわたしたちの作品のプロモーションをしてくれた形となりました。おまけに彼らはその後、選挙にも負けてしまった。その結果をこの映画がもたらしたというわけではないですが、人々の目が人道的な視点に変わってきたというところで、多少はこの映画が果たした役割もあったのではないかと自負しています。

■手遅れになる前に描きたかった

 ――この企画を起ちあげた頃は、右派政権が力を持っていた時期ですが、そんな中でも、この題材を取りあげなければと思ったのは、どのような思いがあったのでしょうか? 

 それはやはりここで行われていることに対する怒りであったり、心配であったり、ある種の義務感のようなものでしょうね。

 今つくらなければならない、という思いに駆られました。わたしが近年つくってきた映画は、「ホロコースト」や、「ホロドモール」というスターリンがウクライナで行った犯罪行為など、20世紀に起きた人類に対する犯罪を描いてきたように思います。

 1930年代、1940年代には人類に対する最悪の犯罪が起こりました(※そしてその前兆としてナチスに迫害されたユダヤ人難民を、ドイツ政府、ポーランド政府がともに排斥しあう、ということがあった)。その当時も、蛇の卵(卵のときから蛇の姿は透けて見えているという、不吉な予兆の例え)が成熟していくような感覚がありましたが、それと同じような感覚を今、自分はヒシヒシと感じているんです。

 このままだと現代にも恐ろしいモンスターが生まれたり、あるいはヨーロッパのような、発展していると言われているような地域や国が、最も冷酷なプロパガンダを受け入れてしまうのではないかという懸念があります。

 ですから手遅れになる前に、まだわれわれに選択肢があるうちに、現代のわれわれの状況を描かなければ、という思いがありました。

 ――この映画をつくるにあたり、政府や右派勢力からの妨害を避けるために、撮影も秘密裏に、24日間程度で急いで撮ったと聞きました。撮影中に危険性を感じることはなかったですか? 

 もともと政府がこの映画の製作に反対しているというのはわかっていたので、なるべくひっそりと撮影するよう進めていきました。

 だから撮影を行ったのも実際の森ではありません。そもそも国境付近の森は撮影許可も下りないですし、国家所有の森林なので、足を踏み入れた途端に警察や警備隊がやってきて、何か言われるのは間違いなかった。

 今回撮影した森は、ワルシャワに近い、いくつかの私有地の森でした。おっしゃる通り、24日間というかなりタイトなスケジュールで撮影をしたのも、そうした余計な注目を浴びないようにするためでした。

 ただ最後のほうの国境の鉄条網のシーンはロケセットでつくったのですが、そのときは非常に不快な訪問者がやってきたり、非常に不快な記事を書かれたりはしました。彼らとそこまで深くやりあったわけではないので、無事に撮影を終えることはできたのですが、そういうことはありましたね。

■ウクライナ侵攻に対して思うこと

 ――本作の物語の舞台は2021年の秋で、その翌年の2月にはロシアのウクライナ侵攻がありました。撮影もちょうどその頃に行われたということで、現実社会が地続きでつながっているという感覚があったのでは? 

 わたしが脚本を書き終えたのが2022年の1月。その1カ月後にはロシアのウクライナ侵攻があったわけですが、この2つの状況がつながっているというのはひしひしと実感しました。わたしたちが描いている映画というのはその一部なんだと感じました。

 われわれ人間がどのぐらいその世界を理解できているのか、あるいは他国の人たちに対する理解度はどんなものなのかということを感じさせられる。

 難民に関しても、白人であるウクライナからの戦争難民は受け入れるのに、中東の人たちはそうではなかった。肌の色が異なることで、なぜ対応に違いが表れるのか、そのことに疑問を呈する人はいません。だからこそエピローグには、ロシアの侵攻に関して言及することにしました。

 作品をつくり終えてからも、現実世界は非常にダイナミックな形で動き続けています。そうすると映画の視点というのもそのときの世界情勢に応じて変わってくるわけです。

 だからこそ現代物をつくるというのは非常に危険な行為ではあるんですが、それと同時に、自分が今見ている思いを作品に込めることもできるんです。

■巨匠ワイダ監督からの影響

 ――ホランド監督は『灰とダイヤモンド』などで名高い社会派の巨匠アンジェイ・ワイダ監督に師事されていたわけですが、ワイダ監督からの影響というのはどのようなものがあったのでしょうか? 

 ワイダ監督は自分のメンターでもありプロデューサーでもあり、一部の作品では脚本を書いたりもしました。彼が亡くなるまで、わたしたちはとても近い関係のコラボレーターでしたし、いろんなことについて話し合いました。自分の作品もずっと見てくれていましたし、アドバイスをくれたりもしました。

 彼にとって重要だったことは、ポーランドの歴史をなるべく誠実に、ほかの国の方にも理解できる形で描いていくことでした。それはある種、自分もそうでありたいという理想でもあります。

 晩年のワイダは、現代のヒーロー像とはなんなのか、ということをよく問いかけていました。おそらくこの映画を観てくれたならば、それがアクティビスト(人道支援家)たちであると。彼らが現代のヒーローなんだというこの作品での答えにすごく満足してくれるのではないかと思っています。

 ポーランド政府が何もしなかったどころか、むしろ逆の非道な行為をする中で、基本的な人権、あるいは人としての価値を守るため、人々の平等のために戦うアクティビストたちがいました。まさに彼らが現代のヒーローだと思います。

東洋経済オンライン

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最終更新:5/3(金) 14:32

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