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国境の森で「兵器」にされた人々…映画「人間の境界」、ポーランドの巨匠が描く過酷な現実

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 映画だから伝えられることがある。ポーランドの巨匠、アグニエシュカ・ホランド監督による「人間の境界」(5月3日から東京・TOHOシネマズ シャンテほか全国公開)を見ると、心からそう思う。描くのは2021年に、ヨーロッパの玄関口で勃発した「移民危機」のこと。「ベラルーシ経由でポーランド国境を越えれば、安全にヨーロッパに入れる」という情報を信じた移民・難民たちはどんな目に遭ったのか。いま私たちが生きる世界での人道上の惨事を描き、人間を描き、このままでよいのかと問う。圧倒的な表現の力をもって観客に内なる変化をもたらす一本だ。(編集委員 恩田泰子)

「人間の境界」から。シリア人のバシール(ジャラル・アルタウィル、右)は家族ともども命の危険にさらされる

 冒頭、 俯瞰(ふかん) で映し出されるのは緑の森。豊かな自然を感じさせる風景だが、ほどなく映像がモノクロームになると印象は変わる。何かが隠されているような……。

 この映画は、21年10月、飛行機でベラルーシに到着したシリア人一家の運命を描きながら、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる森とその周辺で何が起きてきたか、その真実に分け入る。フィクションではあるが、描かれる出来事は入念な調査や取材に基づいているという。

 映画が始まって早々、観客は、シリア人一家とともに、国境の森に放り込まれる。夫婦と、乳飲み子を含む子供3人、そして年老いた父親の6人。「ベラルーシ・ルート」ならば、安全にヨーロッパに入れると聞かされていたが、希望は砕かれ、行くも地獄、戻るも地獄という状況に追い込まれる。森の中では、この一家以外にも、中東やアフリカ出身の移民・難民たちが多数、立往生していた。

「人間の境界」から

 彼らは、やっとの思いでポーランド側へたどりついても国境警備隊に押し返され、ベラルーシ側に戻れば、また、そちらの兵士から森へと追い立てられる。その繰り返し。移民・難民たちはテニスボールのようにしたたかに打ち返され続ける。助けを求めるすべもないまま、虐待され、自然の脅威にさらされ、寒さ、飢え、渇きにさいなまれながら、衰弱していく。なぜ、こんなことに。

 欧米諸国は、ベラルーシのルカシェンコ政権がEUに混乱を引き起こす狙いで意図的に移民らを大量に送り込み、人間を「ハイブリッド兵器」として利用した、と非難した。そのことは報じられてきた。でも、この映画は、これほど悲惨な状況を生み出した理由はそれだけではないのだと、しかと伝える。

「人間の境界」から。ポーランド国境警備隊の上官がレクチャーする場面

 ポーランドの若い国境警備隊員たちは上官から何を教え込まれたのか。人道支援を行う活動家たちの前に立ちはだかるのは誰か。ホランドは、異なる立場の人間たちのひりつくようなストーリーを交錯させながら、ポーランド当局がしたこと、しなかったことを浮かびあがらせる。政治的な駆け引き、プロパガンダ、あるいはダブルスタンダードによって、人間がいかに苦しめられていくかを、一般の人々の目線の高さで描き出す。 精緻(せいち) に織り上げられた脚本、そして、ドキュメンタリーのように生々しく、なおかつ端正なモノクローム映像で観客をぐいと引き込む。俳優たちの迫真の演技も強い引力を持つ。その中には実際に難民だったシリア出身者や支援活動の経験者もいる。見るのがつらい、などと言う暇などない。

「人間の境界」から

 描かれる現実はあまりにも過酷だが、絶望だけの物語ではない。それでも罪のない人々をどうしても救いたいと行動する人々がいる。思いがけず力を貸す人もいる。若くしなやかな心の可能性にも気づかされる。そうした人間の光景を見ると、ふっと背中を押され、勇気づけられる気がする。そして気づく。遠くの国で起きていることが、遠いことではなくなっていることに。 強靭(きょうじん) な映画は人の心に変化を起こす。この映画に登場する人々を見て、自分だったら、と考えない人がいるだろうか。

 いま世界で起きていることに、映画で 対峙(たいじ) する。伝えるべきことを表現の力を駆使して伝える。現実の出来事から間を置かず、作品を完成させ、世に問うた、ホランドの映画人としての筋金入りの気骨に打たれる。終幕に至るまで、彼女の問題提起は緩むことはない。

 この「人間の境界」は、23年のベネチア国際映画祭で発表され、審査員特別賞を受賞した。だが、配給会社の資料によれば、当時のポーランド政権は本作を激しく非難。公開劇場に対し、上映前に「この映画は事実と異なる」という政府作成のPR動画を流すよう命じたが、ほとんどの独立系映画館はその命令を拒否したという。また、ヨーロッパ映画監督連盟をはじめ、多数の映画人がホランド支持を表明。24年3月、映画人の集まりであるポーランド映画アカデミーが審査するポーランド映画賞で、本作が最優秀映画賞、ホランドは生涯功労賞に輝いている。

「人間の境界」から

「人間の境界」 (原題:Zielona Granica、英題:Green Border)=2023年/ポーランド、フランス、チェコ、ベルギー/上映時間:152分/日本語字幕:額賀深雪/配給:トランスフォーマー

※場面写真=(C)2023 Metro Lato Sp. z o.o., Blick Productions SAS, Marlene Film Production s.r.o., Beluga Tree SA, Canal+ Polska S.A., dFlights Sp. z o.o., Ceska televize, Mazovia Institute of Culture (CeskaのCには補助記号ハーチェク、aには同チャールカが付く)

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