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悲劇→歓喜→悲劇→パリ行きの行方は…U―23日本代表が因縁のイラク戦 五輪世代へ追い風のポイント - スポーツ報知

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 【ドーハ(カタール)26日=後藤 亮太】8大会連続12度目の五輪出場に王手をかけたU―23日本代表が、29日午後8時半(日本時間30日午前2時半)の準決勝でイラクと対戦することが決まった。イラクはこの日、準々決勝でベトナムを1―0で撃破。日本が2016年にリオデジャネイロ五輪出場を決めた時と同カードが実現した。開催地も当時と同じドーハという吉兆を受け、大岩ジャパンがパリ五輪切符をつかむ。敗れた場合は3位決定戦に回る。

 決戦の相手がイラクに決まると、大岩剛監督(51)は表情を引き締めた。準々決勝のカタール戦(4〇2)から一夜明け、チームは休養日だったが、指揮官はイラク―ベトナム戦を視察。スタンドから見届け「組織力というより個の単独のパワフルさやスピードは注意しないといけない。練習試合もやっているし、分析(担当)も一緒に来ているのでしっかり準備をしていきたい」と警戒した。

 要注意はPKで決勝点を決めたMFのJ・アリ。前線でプレーするアタッカーは今大会最多タイ3得点で、1~2月のA代表のアジア杯で日本が1―2で敗れた時も左サイドMFで先発していた。大会前に1―0で勝利した練習試合(非公開)には不在だったことを明かした大岩監督は「7番とかは注意しないといけない」とポイントに挙げた。

 ドーハでのイラク戦といえば、A代表では米国W杯を逃した93年「ドーハの悲劇」の苦い記憶が残るが、五輪世代にとっては"追い風"だ。16年の五輪アジア最終予選。今回と同じ準決勝で当たり2―1で競り勝ちリオ切符を獲得すると、そのままアジアの頂点まで駆け上がった。また、現在の選手たちにとって「悲劇」は生まれる前の出来事で、負のイメージが膨らむことはない。

 さらなるプラス要素もある。イラク主将のMFムンタデルが日本戦は出場停止。左利きボランチは豊富な運動量と高い技術でチームの心臓部を担っていただけに、中盤に豊富な人材がそろう日本が優位に立てる。また試合開始の午後8時半の時点で、この日は気温23度。主将のMF藤田が「自分たちのサッカーを貫いて勝利できれば」と話すように、前線から積極的にプレスをかける日本にとっては体力の消耗が少ない気候は歓迎。DFラインからつなぐサッカーを見せる相手に対して、試合開始から全開で臨めるはずだ。

 懸念されてきたFW陣もカタール戦でエースの細谷、19歳の内野航が得点するなど状態は上向きで好材料がそろう。「やるべきことをやり続ける」と指揮官。全員が同じ方向を向いて戦い、8年前の再現となる「ドーハの歓喜」をもたらす。

 ▼93年米国W杯アジア最終予選 勝てば史上初のW杯出場が決まる一戦で、日本は2―1でリードした後半アディショナルタイムの失点で追いつかれて2―2の引き分け。得失点差で3位に後退し、本大会への道が閉ざされた。「ドーハの悲劇」と語り継がれる。

 ▼16年リオ五輪アジア最終予選 準決勝で対戦し、延長突入目前だった1―1の後半48分に劇的な決勝点を奪い、3位以上が確定。96年アトランタ大会から6大会連続10度目の五輪切符を獲得した。

24年アジア杯 A代表が1次L第2戦で対戦。前半5分、前半49分にも失点。後半の追い上げも実らず1―2で敗戦し、A代表として初出場した92年大会から9回目の参戦で、初めて1次Lで黒星を喫した。

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